2年前の夏、母親の交際相手に命を奪われた新村桜利斗ちゃん。
60度〜75度の湯を執拗に浴びせられ、体の90%に酷い熱傷を負った桜利斗ちゃんはたったの3歳でした。
私の選挙区・大阪で発生した”摂津市3歳児熱湯虐待死事件”。
今日は凄惨なこの事件の判決が大阪地方裁判所であり、被告の男に懲役10年の実刑判決が言い渡されました。
3歳児熱湯死「死亡の危険性認識せず」と大阪地裁 高温シャワー浴びせた行為は認定 https://t.co/hexfcbnWsJ
— 産経ニュースWEST (@SankeiNews_WEST) July 14, 2023
判決で大阪地裁は、故意に高温シャワーを浴びせたことは認定した一方で、「死亡する危険性を認識していたとまでは言えない」と判断し殺意を否定した。
2019年の参議院選挙にて「虐待やいじめを無くしたい」と連日のように街宣車で訴え国会にやって来た者として、裁判の行方までしっかりと見届け小さな命に向き合わねばと、今日は地元秘書と一緒に傍聴券を求めて裁判所の列に並びました。
蒸し暑さに汗を滲ませながら思い出したのは、事件の第一報を目にした時に湧き上がった怒り。拳に力が入りすぎて手のひらに食い込んだ爪の跡。
当時のSNSではこのような発信をしていました。
更生の可能性も冤罪の可能性も加害者の抱える心の闇も理性ごと吹き飛ばし、もうハムラビ法典でいいと叫びたくなる時があります。
— 梅村みずほ 【STOP!児童虐待】参議院議員 大阪府選挙区 (@mizuho_ishin) September 23, 2021
大阪の事件。僅か3年で旅立った桜利斗ちゃんの死を無駄にせぬよう市と児相の情報共有や判断の根拠等できるかぎり調べさせていただきます。 https://t.co/zOOJHnUoRG
「もうハムラビ法典でいいと叫びたくなる時がある」
立法府の人間が口にすべきではない言葉だと思われるかもしれませんが、そう放言したくなる程の絶望感と脱力感でした。
その後、摂津市では仲間の議員が即座に動き、市による説明及び質疑の場が報道の数日のうちに開かれました。
摂津市は今週日曜日に市議選投開票があったばかり。各所からいろいろご意見はあるそうですが、文教上下水道常任委員長として、定石でなく今必要なことを即日で判断し議会を開くため尽力された三好議員に感謝致します。 https://t.co/XQ3NYmVLgQ
— 梅村みずほ 【STOP!児童虐待】参議院議員 大阪府選挙区 (@mizuho_ishin) September 25, 2021
急な開催でしたが、なんとか時間を工面して傍聴へ。
明るみになったのは形骸化した要対協や関係各所の連携不足、担当者間の引き継ぎの甘さや楽観的な判断…児童相談所とは何度もやり取りのあった家庭であり、救えたタイミングは何度かあったことが伺えました。
熱湯かけられ続けて亡くなった3歳の男の子の事件について、昨日摂津市議会で開かれた次世代育成部へのヒアリングを傍聴して参りました。昨日の内容を聞く限りは児相との連絡も不十分であり、判断の根拠も曖昧なものであったと言わざるを得ません。
— 梅村みずほ 【STOP!児童虐待】参議院議員 大阪府選挙区 (@mizuho_ishin) September 25, 2021
来週設置される府の検証部会に注目したいと思います。 https://t.co/FL7iaayIIu
翌年1月に公表された大阪府による検証結果報告書でも、安全配慮を欠いた判断の数々や担当者の経験不足、アセスメントの不十分さ等、様々な問題点が浮き彫りとなりました。
摂津市や大阪府でも当然、二度とこのような悲劇を繰り返さぬよう対策に乗り出しており、市議府議の皆様が今後も厳しく注視してくださるはずが、国会議員としては国への提言としてまとめられている「市町村相談体制強化に向けて」「要対協運営充実に向けて」「養育に関わるものへのアセスメントや対応の強化に向けて」の3点について特に咀嚼する必要があります。
その他、虐待防止を考える上で避けて通れないのは親のバックボーンです。
子どもを虐待する背景には必ず親の闇がある。
多くは被虐待経験や愛着障害など親の生育歴に関わっていると想定されますが、親の生育歴に問題がなくとも育児に十分なサポートが得られない場合や、病気・障がいによるもの、望まぬ妊娠など、要因は様々です。
望まぬ妊娠を防ぎ命の尊さを学ぶ性教育や性交同意年齢の引き上げ、産婦人科を砦とした虐待リスクチェックと行政支援への橋渡し、子ども自身が身を守るための子どもの権利教育、児相機能と女性シェルターを含む家族の駆け込み寺としてのファミリージャスティスセンター導入、そして離婚後離婚後共同親権…。
虐待をなんとか食い止めようと国会質疑や政党の部会等で度重ねて訴えてきました。特に今回のようなシングルマザーと新しい恋人・内縁の夫・新しい夫の組み合わせによる虐待死事件や望まぬ妊娠の上に赤ちゃんが殺される事件についてはいつも「生物学的父親はどこにいったのだ」と憤ることが多く、関連の質疑を度々行っています。
「親たるもの子どもに危険が生じるならば我が身を挺してでも子どもの命を守るものだ」という認識は多くの日本人が持っているものだと思いますし、そうであると信じたい。でも、現実は理想とは違います。
親自身が子ども時代に十分な愛情を得られなかった場合、親から虐げられてきた場合には、我が子の愛し方がわからない、或いは自分が愛されたいあまりに子どもは二の次となり異性に依存してしまうケースは少なくないでしょう。母としての自分より女である自分を優先してしまう、父親の違う子どもを5人も6人も産んでしまう、そんな女性に必要なのは既存のひとり親支援だけでなく依存せずに生きていけるようになるためのカウンセリングと治療かもしれないのです。
また、生育歴に傷を追った人が連れ子のある異性をパートナーとした場合、最初は頑張って親代わりを担おうとするものの、やはり愛し方が分からなかったり、躾と虐待の区別がつかなかったり、或いは子どもに向けられている愛情を自分に向けてほしいと独占欲に駆られたりすることがあるでしょう。その場合も、傷つき壊れた心を治さない限り同様の悲劇を繰り返す恐れがあります。
似た者同士が惹かれ合うのは自然なことかもしれませんが、シングルマザーとその恋人による虐待死事件は残酷なものがあまりに多い。構造的な問題を疑い、法律によって解決策を探るべきです。
「たっくん(今回の被告)、いや。たっくん、いや。」
3歳の桜利斗ちゃんは覚えたての日本語で、一生懸命助SOSを出していたよな。
お母さんに、助けてほしかっただろうな。
争点であった殺意が認められなかった以上、今回の判決は妥当だったのかな。
いやいや。
10年なんて、あまりに軽いじゃないか。
判決文でも被告が自己弁護を繰り返し反省の色がなかったも認められていたじゃないか。
無限に広がっていたはずの3歳の男の子から一切の未来を奪った罪は、たった10年で償いきれるわけがないじゃないか。
2年前の激しい怒りを蘇らせたり、気持ちを落ち着かせたりしながら、胃の中に鉛を流し込んだような後味とともに法廷を後にしました。
何の落ち度も非もない子どもたち。
今日までに虐待で命を失った子どもたちは多くのメッセージを残しているはずです。
究極の声なき声に耳を済ませ、彼らの無念を法律に変えなくてはなりません。
明日からまたがんばります。
桜利斗ちゃん、どうぞ安らかに。